『カールじいさんの空飛ぶ家』☆4.5/5 -- 「大人」の映画ね

 息子にきいたところによると興行的にはイマイチだったようだけれど、いい映画だった。

 受ける層が小さそうだ。結婚して20年とかたった人が見ると、心に染み渡る場面が何度も出てくるんじゃないかな。これを子どもや若者が見ても、よくわかんないところが多いだろう。

「やっぱり鳥を助けよう」と思い返すところは、チョットくさい感じがあるかな〜。

 

 気功師(見習い中)の立場から見ると、奥さんが亡くなっちゃうときにベッドの横で茫然としているカールじいさんがかわいそうかな。私なら、奥さんのお腹に手を当ててあげるだろうと思った。

 考えてみれば、ほかの人の病気を(ある程度だけれど)直せるというのは、嬉しいことだ。カミさんとか子どもとかの苦しみを取ってあげられるわけで(子どもが苦しんでいるのを見るのは辛いもんね)。

 まあ、誰でも最後は寿命であっちの世界へ行っちゃうわけだけれど、途中で変な病気で逝っちゃうことは、多分だいたい防いであげることができるんじゃないかと思う。

 子どもが一人暮らしして独立しちゃったら、少し難しくなるけれど、近くにいれば駆けつけてあげることができる。

 地球の反対側にいるとそれはできないけれど。遠隔治療もできる人がいるそうだから、一生懸命修行してみようかな。首の骨を折って意識が戻らない兄貴には時々試してみているけれど、「効いてる」という実感はない。もっとも、直接兄貴に触りながら気を入れても、効いてるという実感は滅多にないので、効いているのかどうかは定かではない。

 最近はスカイプとか使えばすぐに姿を見ることはできるので、「こうしてみたら」とかアドバイスはできそうな気がする。何となく「この辺が変じゃネエか? だから、こうしてみた方がいいんじゃネエか?」みたいな感覚はあるので。

 

 そう、曖昧なものなのです。バシッと見えるすごい先生もいらっしゃるのかもしれないけれど、私にとってはすごく曖昧な世界。効くときもあるし効かないときもある。最近は効く確率がかなり上がってきている実感はあるけれど、相変わらず効かないときもある。

 だいたいの気功師はそんな感じじゃないかと想像する。

 だから、インチキも多い。曖昧だから。

 それから勘違いする人も多い。「おお、俺には才能があるに違いない」って。その時偶然効いただけかもしれないのに勘違いする。「いつでも誰でも直せるぞ!」って。

 正直に「あなたには効くかどうかわかりません」「今日はコンディションがイマイチなので、ダメそうです」なって言っていたら商売にならないわけで。(これは、結構西洋医の方々にも言えるんじゃないかと思う。「私には直せそうもないけど、正直にそういうわけにもいかないので、一応薬を出す」みたいな方も中にはいるのではないかと...)。