永沢哲著『野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙』
『チベット旅行記』河口慧海著
河口慧海著『チベット旅行記』(現代世界ノンフィクション全集〈第6〉)
100年も前にチベットに一人で旅行したお坊さん、河口慧海(えかい)の物語。河口慧海の清廉潔白な人柄が魅力的。
これだけ大変な出来事に出会っても生きて帰ってくるのは、やはり何らかの導きがあったからとしか思えない。
あるチベット人(カム人が)、霊峰に向かって懺悔した言葉。
私がこれまで幾人かの人を殺し、あまたの物品を奪い、人の女房を盗み、人と喧嘩口論をし、人をぶんなぐったいろいろの大罪悪を、ここで確かに懺悔しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後、私が人を殺し、人の物を奪い、人の女房を取り、人をぶんなぐる罪も、ここで確かに懺悔いたしておきます。
(p. 72)
かくも都合よく懺悔を使えるとは、たいしたものだ。
エベン・アレグザンダー著 白川貴子訳『プルーフ・オブ・ヘヴン』
内容的には特に目新しい印象はなし。
単に、現役の「優秀な」(と自分でも宣伝している感じの)脳研究者が臨死体験をしたという話。
テンジン・ワンギェル リンポチェ著 梅野泉訳 『チベッタン・ヒーリング――古代ボン教・五大元素の教え』
さて、どのプラクティスを実践すべきか? 今の自分にとってふさわしいと思えるものをすべきだ。これまでに縁があり、内容を理解し、修行し、人生に応用してきたものを続ければよい。もし、ひとつの修行法だけですべてを解決できないなら、そのときは別の修行法もやってみればよい。やり方を十分に習得し、実際にその効力がわかるまで本書にある修行を試してみればよい。どのような修行でも長く続ければ続けた分、その効果も深まってくる。それがはっきりと自覚できるようになるまで続けなさい。何が効果があり、自分が何を必要としているのか、ということを学びなさい。修行の道は受動的な旅ではない。誰かが言ったことにただ従うだけではだめだ。自ら探求し、調べ、実験してみることだ。その道に自分自身を、時間を、人生を賭けるのだ。そのときはじめて、道は自ずとあなたの前にあらわれ、歩むべき方向を指し示してくれる。歩みつつも、自ら発見を重ねてゆかなければ道の実践にはならない。
(p. 97)
上の文章に出会っただけでも収穫ではあった。
ただし、全体的にはかなり重い内容で、すぐに実践は難しい感じ。もう少し修行を積むか、(心の?)余裕ができないと本格的に取り組むのは難しいかな〜。
翻訳なさった方がきちんと内容を咀嚼して訳していらっしゃる印象。おすすめだと思う。内容が完全に理解できないので、無条件でおすすめとはいかないが。
- 作者: テンジン・ワンギェルリンポチェ,Tenzin Wangyal Rinpoche,梅野泉
- 出版社/メーカー: 地湧社
- 発売日: 2007/08
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 14回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
吉福康郎著『武術「奥義」の科学―最強の身体技法』
難しすぎ。もうちょっと喩えとか使ってわかるように説明してください!
物理は確かに苦手でしたが...
藤森博明著『気に成る本』
実直そうな著者が実直に書いた印象の本。地道に地道に気を捉えようとして、どうやら捉えたらしい。
「ゆるめ」「呼吸」「腸腰筋を使う」がポイントかな。
私の師匠と同じようなことをおっしゃっているし、恐らく著者の言っていることは間違っていなさそう。
ただ、この本の説明だけで掴むのは多分無理なので(まあ、このあたりのことを本だけでマスターするのは、99.9999%の人には不可能だと思う)、著者が運営なさっている教室に行くのがよいのかなと。
和式トイレの効用
パーキングエリアでトイレに入った(大のほう)。朝飯時だったせいか洋式はすべて埋まっていた。そこで和式に入った。
おお、この新鮮な感覚。背中の筋が延びて気持ちがいい。
昔の人はこうやって毎日ストレッチしていたんだなあ〜。足首やひざも鍛えられるだろうし。
そういえば、ひざを痛めて、おいの結婚式に杖をついていて出てきてみんなをビックリさせた兄が、単身赴任で和式トイレ付きのアパートに住んで毎日「屈伸運動」をしていたら、次にあったとき「直っちゃった」と笑顔で教えてくれたことがあったっけ。
一日一回屈伸運動。和式トイレがなくてもやりますか。